揺れてていい

ヨガでバランスのポーズをとるとき、よく言うことがあります。それは、「グラグラしてもいい。揺れてていい。その揺れの中で、自分の真ん中に戻り続けてください」ということ。

動き続ける、揺らぎ続ける。それが生命であり、この世のすべてなんだった。「不動」なんてもの、この世にはないんだった。

心の揺れがいつも気持ち悪くて、「スッキリ100%全部が完璧」になりたいなと思っていたのだけど、それと同時に、「そんなものはないんだよな」ということも思ってて。

でも、気づけば完璧を探している。一点の曇りのない空を探している。

でも、見渡す限り完璧に青空なんて、生まれてこのかた見たことがない気もする。外側は、内側。だからわたしたちの心だって、きっと同じなのだ。

曇っていていい。雨が降ってもいい。

「なんで曇るの」「雨は嫌いだ」と文句を言っても仕方がない。

晴れる日もあるし、曇りも雨も、嵐もある。予報が外れるときもある。

外側は、内側。現実世界で起こることはすべて、わたしたちに内側の真実を教えている。

それで完璧なのだ。一点の曇りもないことが完璧なのではなくて、今目の前に広がっているその景色が、そのまま完璧なのだ。

そうでしかありえない、絶対的なもの。揺らげば気持ちが悪いし、ざわざわするけれど、何が起きても揺らがないような鈍った心をわたしが求めているのかといえば、そうじゃない気がする。

繊細に震えれば震えるほど、一見、不安定かもしれない。でもその揺らぎは、感性の細やかさ。感度の高さ。

喜びも悲しみも、振り幅はどんどんスケールを増していく。世界が拡大すればするほど、きっとそうなっていく。

喜びをもたらす人は、同時に悲しみをもたらす人でもある。表裏一体。すべては一つ。だから、闇に目が向くときは、闇しか見えないときは、それと同じくらいの光を浴びていたことにも気づこう。

そんなことをね、『ファクトフルネス』を読みながら考えていました。昨年流行った本らしいのだけど、ある人のブログで紹介されてて、すぐにアマゾンでポチってみた。

「人間の脳はすべてをドラマティックに捉える」が、なるほどなぁと、そうだよなぁと、ぐさっと刺さるのです。

さて、先週、久しぶりにTarunと撮影をしました。

Tarunはインド人で、生まれたときからヨガをしているような人。ヨガネイティブ。なんかいろいろ想像を超えてておもしろいし、Tarunのクラスはいつも学びがあって、習ったことを自分の練習にもフィードバックしてる。

この日はYouTube用の動画と、Podcastの収録をしました。どちらも充実の内容。YouTubeの方は前回同様、笑えるヨガビデオになると思います 笑

ちなみにまだご覧になっていない方は、ぜひ1作目も見てみてね!

では、引き続き良い一日をお過ごしください?

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