肉体に宿る記憶

居心地の悪い夢をみた。

それはこの一年に経験していたある感情の記憶で、夢のなかで走馬灯のように、その一連の流れを体験していた。

目が覚めてもスッキリしなくて、それはずーっとずーっとスッキリしなかったあの感情を再び体験したからだと思うのだけど、なんとなくいつものルーティンから離れたくて、白湯を飲みながらパンケーキを焼いた。

短いヨガのプラクティスをして、今、パンケーキを食べながらこのブログを書いている。

肉体に宿る記憶や感情、思いについて。

わたしたちは普段、無意識に、それらを自由に行き来している(それを思えばわたしたちが単なる「肉体」でしかないわけがないと誰もが実感できると思うのだけど)。

で。

繰り返し繰り返しやってくる自分を苦しくする思考パターンや思いぐせと、2016年くらいからずーっと向き合ってきて、今ようやく出口が見えてきた。というか、もう出てしまったのかな?おそらく。

それで思ったことなのだけど、よく「意識は一瞬だ」、つまり意識をパッと変えれば全部が変わる、それは簡単なことだみたいに言われるけれど、意識って一瞬で変わるのかな?とずっと疑問に思っていて。今朝気づいたのは、要は普通に生きていれば意識さえ肉体レベルにとどまり、一緒くたになっているようなものだから、意識を変えようとしても肉体(ここでは無意識の行動や思考と同義)によって容易に揺り戻されてしまうんじゃないか、ということ。

だから、この世界で意識の変容を体験するには、やはり肉体レベルの鍛錬、研磨(=意識の鍛錬、研磨に通じる)を経験する必要があるのかもしれないな。

うん、まだまだ掘り下げていきたいトピック。

今日もちょこちょこ予定があるので、一つずつていねいに向き合っていこうと思います。

みなさまも良い一日を!

Leave a comment