「流れに身を任せる」の真意

以前、noteに書いたコラムから。最近この感覚が薄れていたなぁと反省したので、リライト兼ねて転載します。

この1ヶ月、「流れに身を任せよう」という意識を強く持っていました。どうしても叶えたい願いがあって、もう絶対絶対、そうしたいと思っていたのだけど、その自力でがむしゃらに頑張る感じって消耗も激しくて、あることをきっかけに「もういいや、起こることに任せよう。流れを信じよう」という心境に至ったのです。

ただ、今までは「流れに身を任せる」というと、なんだかすごく受け身な印象がありました。「自然に任せる」=「自分からは何もしない」って感じで、「いや、しないわけにはいかない!頑張りたい!」と思ってしまうタイプだったんです。

けれど、「流れに任せる」の「流れ」って、そのときどきで自然にわき起こる感情も含まれるな、と気づきまして。それってつまり、「徹底的に自分のハートに委ねる」ことでもあるんじゃないか、と思ったのです。そこでこの1ヶ月は、やってくる衝動や、理由はわからないけれど「とにかくそうしたい!」という感情をなるべく阻害せず、そのまま外に出してあげる、ということを心がけていました。

「こんなことをするとこう思われるかな?」とか、「こんなことを言って後悔しないだろうか」とか、直感に対して思考はあれこれ巡るのだけど、そういうごちゃごちゃを「えいや!」と投げ払って、「とにかく流れに任せるぜ」ってことをとことんやる。徹底的に、文字通り、「なぜか知らんがこうしたい」ということをそのまま素直にやってみた結果、「あれ? なんか目標飛距離を越しちゃった!」な状況が起こって。

それで、先ほど述べた「流れに身を任せる」の真意……というとおこがましいかもしれませんが、そのことにようやく気づいたんです。

思考の関与を許さず、とにかく全てを流れに委ねていくのって大変なんですけどね。やっぱり私たちは頭で考えて、納得したい、安心したい生き物だから。

でも、「安心」は、自分が今まで経験した範囲にしかないこと。「過去」を参照して、「あの時はこうだったから、こうすれば間違いない」「あの時はああやって失敗したから、今回はやめておこう」とか、結局、過去を起点に、その範疇で未来を作っているにすぎないのです。

夢見る世界を現実にしていくのって、自分が知っている世界を超えていくことだから、その「安心」を頼りにしていてはだめで。どうなるかわからないけど、想像すると怖いけど、やってみようという気持ち。その気持ちに乗っかる、行動力、決断力。失敗するかもしれないし、成功するかもしれないし、とにかくなんにせよ起こることを良しとする。それが最善だと受け止める。それがすなわち、「自分を信じる」力なのだと思います。

「今日も、起こることすべてが必然で、最善だと私は知っています」

これは『ずぼらヨガお得技セレクション』の中でも紹介した、オリジナルのマントラです。これを毎朝、ヨガの練習の最後、ちょこっと瞑想するときに唱えているのですが、「だから結局、何が起きても私は大丈夫」って自分を安心させてあげると、「今日も流れに委ねていこう」という気持ちを持ちやすくなります。

ハートに湧き上がる力を阻害せず、そのまま素直に、放出する。

本当に、本当に、頭にあることをスッとそのまま、言葉にし、行動にし、世界に表現できたなら、あなたが生きる「世界」は大きく変わっていく。絶対に大丈夫。私はそうだったし、今もそう在ろうとしているし、これからますますそう在りたいなぁと思っています。

気を抜くとすぐに忘れちゃうから(まだ根っこまで変われていない)、こうやって時々、思い出すのが大事! 1日、1日、楽しんでいきましょう♡

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