それでもやっぱり、光へ向かう

怒涛のような変化に彩られている2019年。今年はね、「なぜかわからぬが号泣」することがしょっちゅうあって、年明け〜3月くらいまでは毎晩のように泣いていて、「これって一体なんなんだろう」と思っていました。ヒーリング系のセッションを受けたことがある人ならわかると思うのだけど・・・表面的ではなく(入口は表面的なことなんだけど)、深いところから出てくる涙、という感じで。

自分の根っこでくすぶっているあれこれをとにかく外に出して、根こそぎきれいにするためのステップなのかな、と捉えているのですが、毎晩のように泣いて、それでも朝、目が覚めればまた光の方に向かっているのだから、なんとも不思議でした。

昔は泣いたり、怒ったり、そういういわゆるネガティブ(だと思いがち)な感情をそのまま出すことが苦手でした。でも今は、感情=エネルギーだから感じ切ったら(出し切ったら)終わる、という認識の元、湧き上がるものは何であれなるべく阻害せず、そのまま出してあげよう、と思っています。

よくわからんが「泣きたい」という気持ちになって、自然と涙があふれるのなら、無理やり止めようとせずにそのまま流し切ろう、という感じ。泣くのって疲れるんですけどね(笑)。明日も朝早いのに、もう寝たいのに、、でも涙が止まらない、、、とか。でも、それだけエネルギーを動かしているということなのかなぁ。

「こんなわたしはもうダメだ」「やっぱりこんなこと無理なんだ」「どれだけ頑張っても、この夢は叶わないかもしれない」・・・泣いている最中は、そういう思いがわんさか出てきて、「あああああああああああああ(号泣)」のループなのですが、それでも朝、目が覚めれば、また光の方を向いている。

「こういうことに挑戦してみよう」「この手だとどうかな?」「やっぱり楽しい!」・・・そんなふうに結局、夢を見ているから不思議です。

人間は、そもそもそういう性質なのかなぁ。心が健康に機能していれば、どれだけ落ちても、もうダメだと思っても、それでも光を探して、見つけて、生きていくものなのかもしれません。

でね、わたしはそれって、未来の自分からのメッセージのようだな、とも思っていて。未来のわたしが「その夢は叶うよ」と知っているから、「だからそこで諦めないで」「もう少しだけ、続けてみて」って、光を見せてくれるのかな、という気がするんです。

その声に、素直に従う。どれだけ泣いても、結局諦められない自分に、その心に、ついて行ってみる。

そう思うと本当に、「過去」も、「いま」も、「未来」も、「いまこの瞬間」にあるのかもしれません。

もはやなんの計画も、ビジョンも、必要とはしていません。

それ自体が命を持って、転がり続ける事象を追いかけながら、「これってどこにつながるんだろう?」とおもしろがって、笑い合って、結局その方が計画やビジョンを超えていくことができるとわかったから。

「いく先がわからない」「想定外」はもちろん怖さと紙一重だけど、それでも、今のわたしはきっと、それを楽しめることを知っているから。

大切なのは、自分の内にあるセンサーをクリアに保つこと。ちゃんと使って、磨いて、整え続けること。

お盆休み中の方も多いでしょうか? どうぞゆっくり過ごせますように。

あ、新しいYouTubeビデオもできあがったので、よかったらお休み中はお家でMegumi Yogaを楽しんでください♡

「All Levels : エナジーフローヨガ in Cebu – English subtitles」

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