言葉をもたないわたしとの会話

この数日、ずーっとモヤモヤしていることがあって、考えたくなくても気づけばそこに意識が向いているような状態でした。

「この思いはどこからくるんだろう?」

「どうしてわたしは、これがこんなに嫌なんだろう? 苦しいんだろう?」

そんなふうに自分自身に問いかけながら、「嫌だ」「苦しい」「辛い」の奥底にある問題の原点を探ろうとしていました。

そして今朝、ある人のブログを読んでいたときに「そうか。この苦しさは、子どもの頃のわたしが抱えていたものと同じなんだ」とフッと気づいて。子どもの頃と言っても、1歳とか2歳とか、まだまだ言語を持たない時期のことだから当時のわたしが「論理的に」そう感じていたかはおいておいて、「あの頃のわたしも同じことを感じていたんだ」と腑に落ちたのです。

論理的に思考できないあの頃って、だからこそ「絶対的な安心」が必要なのでしょうね。とはいえ親だって人間なのだから、それを常日頃提供し続けることが可能なのかはわからないのだけど、その意識があるか・ないかだけでもかなり違うのだろうなと推測します。

個人的に、いつまでも幼少期のことやインナーチャイルドうんぬん言ってるのって好きではないのだけど、やはりどうしたって絶対的な根深さがあるのだな。

そして、言語をもたないあの頃のわたしと意識をつなげながら、

「じゃあ、いまのわたしはどうしたらいい?」

「これからのわたしに必要なものは何? そして、必要じゃないもの、捨てた方がいいものは何?」

と引き続き問いかけました。

その答えがまたいかにも腑に落ちるもので、泣きながら笑いたいような、不思議な気持ちだった。

ただ笑って、ただ愛して。

弱さを見せればいいし、しんどい・辛いと言えばいい。

でも、無理に変わろうとしなくていい。努力する必要はない。

意地っ張りや強がりはおいていく。

幼いわたしとやりとりしながら、“答えはすべて自分の中にある” を確認した日。

週末訪れた、長野県松本市の四柱神社。とても素敵な神社でした

日に日に、春めく東京です。

今日は新月。今一度、ここから向かう先のビジョンを描いて、軌道修正していきます。

では、すてきな一日を!

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