あらゆる可能性が広がっている

量子力学の世界では、粒子は観測者がいない状態だと「どんなふうにもなりえる」可能性を持っていて、観測者が現れた瞬間、その「無限」の可能性から、「たった一つ」の現実へと選択肢が狭まるという。

有名な二重スリットの実験(観測者が粒子に及ぼす変化が示されているもの)とか、わたしはいまだにこの頭では理解できないのだけど(人間の理解を超えてるよね、きっと)、、科学とスピリチュアルは極めて同じ世界の話を、別の側面から語っているにすぎないと実感する。

そんなことに思いを馳せていたこの数日、わたしも「自分が現実の可能性を狭めてるんだな」と実感する出来事があった。

ある事件が起きて、例えばわたしはそれに対して、AもBもCも、Zでさえ選べる状況なはずなのに、「その人との関係性を考えると、Bを選ぶべきなのでは」とか、「別にAもできないことはない」とか、本当はZを選びたいのに、それは一番非難される選択のような気がして、考え込んでしまったのだ。

「AかBか、Cか」みたいにグルグルし出したとき、「ていうか、わたしはA~Zのどれを選んでもいいんだし、Zを選ぶ可能性だって残されている。選択の自由は与えられているんだ。でも、自分の価値観がその答えを限定させているんだ」と明確に気づいた。

神様は何の制限もしていない。

宇宙はあらゆる可能性を提示してくれている。

なのに、常識で考えたらAとか、穏便に済ませるにはBとか、自分が勝手に枠組みを作っているだけなのだ。

わたしは念のためさらに吟味して(笑。まじめなのよね)、結果、Zを選んだ。

自分の幸せのためには「それしかない」と思う選択だったけど、それを選ぶことさえ勇気が要った。でも、気づいたのは、「これでいいや」って妥協していたら、結局いつまで経っても妥協した現実しか生まれないということ。

「何を自分の人生に招き入れるかは、自分にしか決められない」と何かの本に書いてあったけど、本当にその通りだと今はわかる。

結局、自分が許可したことだけが人生に起こるのだ。良いことも、悪いことも。

これは言葉尻だけ捉えると、誤解を与えそうだし、大変な状況にいる人からしたら反発したくなると思うけど、でも、考えてみて。自分の選択を。自分が日々、何に妥協しているのかを。何をあきらめているのかを。

今日は東京媽祖廟にお参りしてきました。楽しかった?

神様と向き合う時間は、いつも心を落ち着かせてくれます。

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