憎しみよりも愛を伝える

わたしが唯一、心に持っているルール。それは、「憎しみよりも愛を伝える」ということ。

そう思うきっかけとなったのは、スマトラ沖地震の際に起こった津波をテーマにしたノンフィクション映画でした。

ある家族が、バカンスで滞在していたホテルで津波に襲われ、散り散りになってしまいます。映画では奇跡的に、最後みんなが再会できるのだけど、わたしはそれを見ながら「あぁ、本当にいつどんなきっかけで、二度と会えなくなるかわからないのだ」と強く感じました。

今朝も、阪神・淡路大震災の回想録をたまたまネットで目にして、家族との最後の会話が喧嘩だった・・・ということを後悔している方の記事を読みました。

もちろん、それもそれで、亡くなった家族もその喧嘩で口にしたことがその人の本音だとは思っていないと思うし、怒ったりもしていないと思うのだけど、自分自身の心にはずっと残るよね、わだかまりや、後悔として。

それってどれだけ時間が経っても、完全に癒すことって難しいんじゃないかなと思うんです。少なくともわたしだったら、何年経っても思い出して、涙を流すと思う。

正直であること。本音を話すこと。

それも、もちろん大切です。

でも、そもそもそれ自体、自分自身がコントロールできていない感情だったとするならば、売り言葉に買い言葉や、満たされない自分・かわいそうな自分をわかってよ・満たしてよ云々をベースに生まれた「思い」だとするならば、それは相手にぶつけるのでなく、飲み込む強さも必要です。

伝える勇気と、伝えない勇気。

良くも悪くも、言葉として発してしまえば、確実に何かが変わります。

そこに愛があるならば、きっと相手は嬉しいし、喜ぶし、もし厳しさを含んだ言葉だったとしても、それさえ伝わるでしょう。

でも、自分の中のゴミ(未消化な感情)を集めて、ただ投げつけるような行為は、運が悪ければ(いいのか悪いのかあれだけど)一発でその関係は終わるでしょう。

今朝もなんとなく、そんなことを感じていて、「傷つけるなら、傷つけられる方になろう」と思いました。

大切なひとを不用意な言葉で傷つけるなら、そのあとの心の痛みを悔やみ続けるなら、傷つけられる側の方がまだいいな・・・と。

それならほら、なんか、自分の心の持ちようで乗り越えられる気がする 笑

それくらい、わたしは誠実でいよう。未来のわたしへ、丁寧にたすきをつなごう。冷静さと、温かさと。わたしは、未来のわたしに恥ずかしくない生き方をしよう。

そんなふうに思う、一日でした。

過去がゆるやかに、今と交差し始めています。

すでに、種まきは終わっていたんだなぁと、改めて感じています。

新たな出会いと、挑戦と。

2020、エキサイティング。

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