おはようございます。
今週は、代行で7:15スタートのクラスを担当しました。ずっと書きたかったことがあって、「今日こそは!」と、PCを持ってそのままタリーズへ。
書きたかったことというのは、先週受けた、陰ヨガの講座のこと。
陰ヨガについて超簡単に説明すると、陰陽でいう陰(=休息、陽=活動)にフォーカスしたヨガのスタイルで、1ポーズを3〜5分程度ホールドするというもの。その間にじっくりと関節周辺組織がほぐれ、日頃アプローチできない奥深くの緊張をほどいていきます。
経絡とも関係していて、それによって気の流れも整える・・・というものなのですが、陰ヨガ自体いくつか種類があるそうなので、必ずしもすべてに当てはまることではないかもしれません。
で。
わたしが教わったのはJoe Barnett先生という方で、陰ヨガを世界的に広めたPaul Grilley先生の友人であり、氏のシニアアシスタントとして多数のティーチャーを輩出しているそうです。
今回、教わったことは今までのわたしの陰ヨガのイメージをいい意味で覆してくれて、「今のわたしに必要なことが見つかった」という感覚がとても強くありました。
陰ヨガにもさまざまなポーズがありますが(通常のヨガで行うものも、独自のものも)、「正しいアライメント」は存在しないそうです。というと語弊があるかもしれませんが、「このポーズではここにフォーカスしたい」という意図はあって、それさえ守れば、ほかはその人の体の状態 —- 柔軟性や可動域、筋力などに応じて調整していくのです。
ポーズを長くホールドする分、時間とともに、体感も変化していきます。もし辛くなったら、また少し調整してOK。「頑張るところ」と「頑張らないところ」を良い意味で見極めるというのでしょうか。
そして、ポーズをほどいた後、シャヴァーサナやチャイルドポーズなど、リラックスポーズで短いお休みを挟みます。
そのとき何をするかというと、「余韻を感じる」。
そのポーズが与えてくれた恩恵を感じ、気の流れや自分の中で動くものを感じ、言うなればそのポーズから受け取ったものをそのままそっくり受け取るのです。
これが、わたしにとって衝撃だった。
「あ、今のわたしにはこれが必要だった」と、素直にそう思えたのです。
陰ヨガでなくとも、普通のヨガを行う中でも、わたしたちは一つ一つのポーズから何かを受け取っているはずで。でも、それがストンと抜けてたなぁ、と気づきました。
「たくさんポーズをとって、ちょっとでも体をほぐしたい」
「もうちょっと頑張らないと、ヨガをやった気がしない」
もっと、もっと、もっと。
数を求めれば、詰め込むことになり、その結果「感じる」余裕がなくなっていた。そんな自分の状態に気づいたのです。
それは、ヨガの練習に限ったことではありません。本当は周りの人からも、一つ一つの出来事からも、わたしたちはいつだって「多くのこと」を受け取っているはずで。
でも、そうしたことにちゃんと目を止められない、勝手に見落として、勝手に「ないない」と騒いでいる。あぁ、本当に愚かだったなぁと改めて思いました。
「心に余裕を」「時間にゆとりを」
もちろんそれが理想だけど、それだけを重視して生きてもいけないし、結果的になくしてしまうことも多々あります。
だけど、だからこそ大切なことをその都度、思い出して、ヨガの練習を通してゆとりを作る。心身を広げていく。その必要性を今一度感じたのです。
そんなわけで、陰ヨガの講座を受けた日から、自宅での練習にも陰ヨガを取り入れるようになりました。
夜はとりあえず陰ヨガ。教わったポーズや、雑誌などで調べたポーズをとりながら、大切なことを忘れないように、そして自分の体と心で、それがどういうものなのか体験していくために。
頑張ってたくさん動かなくても、それ以上に体が深く緩み、リラックスできることを日々、感じています。
ときどき、ヨガを生涯伝えていくために、何が必要なんだろう?と考えていましたが、その答えさえまるっといただいたような、そんな気分です。
Joe先生、そしてオーガナイザーのKanakoさん、素敵な機会を本当にありがとうございました♡